PHILOSOPHY & HISTORY

スクールモットー

Ut filii lucis
ambulate
光の子として歩みなさい

(新約聖書 エフェソの信徒への手紙 5章8節)

建学の精神

強くしなやかな精神と、 新しい世界を切り拓く能力を、 他者のために用いることのできる人間を育てる。

沿革

日本で6番目に創設された伝統あるミッションスクール
梅光学院の歴史

キリシタン禁止令が正式に解除される前年、アメリカの宣教師ヘンリー・スタウト博士夫妻により聖書と英語の私塾が開かれました。 1872年(明治5年)、長崎の地で梅光学院の歴史の幕開けです。

塾は梅香崎女学校となり、1914年には山口の光城女学院と合併、頭文字1字ずつをとった下関梅光女学院が誕生しました。
当時の下関は東アジアの玄関口として重要な位置にありました。戦災での校舎の消失など多くの苦難を乗り越え、1964年の短大開設以後、大学、大学院を設置、2001年には男女共学となり、名称も「梅光学院大学」となりました。
梅光学院は、このような永い伝統を持つミッションスクールとして、地域社会や他者のために生きることのできる人材を育成し続けています。

創設者

ヘンリー・スタウト

1838年、ニュージャージー州ラリタンに生まれる。アメリカ改革派教会牧師。
1869年、31歳で来日。様々な困難の中で、愛する日本での教育と布教活動に生涯のほとんどを費やし、1912年、故郷で74歳の生涯を閉じた。

エリザベス・スタウト

1836年、ニュージャージー州に生まれる。兄の援助で女学校に入り、1年は学び、1年は働きつつ卒業した。
ヘンリー・スタウトと結婚し、すぐに来日。私塾では聖書、英語、科学を男女両学生に教えた。1902年、長崎にて永眠。

学院の歴史

1872年 ヘンリー・スタウト博士夫妻、長崎に聖書及び英語塾開設(本学院開学)
1890年 梅香崎女学校となる
1914年 梅香崎女学校と光城女学院の合併校として下関梅光女学院が誕生
1941年 財団法人下関梅光女学院設立
1951年 学校法人梅光女学院設立 校名は梅光女学院高等学校、同中学校となる
1967年 梅光女学院大学文学部日本文学科、英米文学科開学
1976年 大学院修士課程開設
1978年 西日本の女子大として初めての博士後期課程(博士課程)を開設
1982年 文学部に英米語学科を増設
2001年 開学130周年を機に法人名を学校法人梅光学院と改称
大学は梅光学院大学と改称され、男女共学となる
2005年 子ども学部子ども未来学科を新設
国際言語文化学部英米語学科・東アジア言語文化学科を開設
2009年 文学部英米文学科と国際言語文化学部英米語学科を改組・再編し、国際言語文化学部に英語英文学科を開設
2014年 下関開学100年記念式典を開催
2015年 文学部日本文学科と国際言語文化学部英語英文学科、東アジア言語文化学科を改組・再編し、文学部人文学科を開設
2017年 梅光学院大学開学50年記念式典を開催
2019年 大学校舎「The Learning Station CROSSLIGHT」竣工
2022年 梅光学院開学150周年を迎える
2024年 文学部人文学科を国際学部国際言語文化学科に名称変更
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