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本学の歩み・年史

岩手医科大学の歩み

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[草創から新制岩手医科大学へ]

創立者三田俊次郎は、岩手県における医療の貧困を憂い、明治30年(1897)4月20日に私立岩手病院を創設し、医学講習所・産婆看護婦養成所を併設しました。明治34年(1901)には岩手病院を実習場として東北・北海道初の私立岩手医学校を設立しました。
しかし、この岩手医学校も創立11年目の明治45年(1912)、医育改革により廃校の止むなきに至りました。その後、大正末期から全国的に医学専門学校設立の気運が高まり、昭和3年(1928)2月、三田俊次郎の医学教育にかける情熱と努力が認められ、私立岩手医学専門学校が誕生しました。岩手医学専門学校は、三田俊次郎校長時代(1928〜1942)から三田定則校長(1942〜1950)まで二十有余年続きました。
その後、戦後の教育改革により、昭和22年(1947)6月18日「岩手医科大学」に変更し、初代学長に三田定則が就任しました。さらに昭和26年、学校法人を設立して新制岩手医科大学が発足するに至り、地域医療に密着した私立医科大学としての揺るぎない地位を確立しました。

[躍進そして現在へ 弛まぬ発展を求めて]

昭和31年以降、設備拡充の5ヶ年計画・続5ヶ年計画と構想が次々に打ち出され、驚くほどの早さで飛躍的な拡充を実現しました。昭和35年 (1960)大学院医学研究科設置、昭和40年(1965)歯学部・教養部設置と、教育・研究の内容を高める環境、条件が充足されました。
昭和40年の歯学部設置は、東北大学歯学部と並んで北日本で最初の歯科医育成機関として認可されたもので、昭和42年の歯学部附属病院開設、昭和58年の大学院歯学研究科開設と、着実にその内容を充実させています。
また、昭和55年(1980)11月、岩手県と共同で岩手県高次救急センターを開設。平成2年(1990)社団法人日本アイソトープ協会と共同で、日本でも数少ない陽電子核医学研究施設サイクロトロンセンターを開設。平成5年(1993)国からの移譲を受けて附属花巻温泉病院を開設。平成9年(1997)2月には、創立60周年記念事業として附属循環器医療センターが竣工。同年5月には循環器医療センターが、全国では3番目の高度先進専門病院として開設しました。
さらに、平成11年(1999)には文部省(現:文部科学省)の私立大学ハイテク・リサーチ・センター整備事業を受け、医学部に先端医療研究センター、歯学部には先進歯科医療研究センターが開設されました。
さらに平成19年(2007)4月には、矢巾新キャンパスの完成にともない、念願の薬学部を開設し、医学・歯学・薬学に関する最高の設備と機能を備えました。
平成22年(2010)8月には、国内2例目となる7テスラMRI装置を整備した超高磁場先端MRI研究所を竣工、同年12月には、がんの機能画像診断と高精度放射線治療に特化したPET・リニアック先端医療センターを開設。平成23年(2011)4月からは、矢巾キャンパスの新校舎に医学部及び歯学部の基礎講座と共同研究部門(現医歯薬総合研究所)を移転し、充実した教育スタッフを擁する名実ともに屈指の医療系総合大学として歩みつづけています。