校歌


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校歌紹介1番のみ(QuickTimeムービー)

校章・校旗


校章・校旗の制定(八工高50年誌から)
 八戸工業学校が設立された時、わざわざ本校のために校章は作られなかったようだ。戦時中のことであるから、生徒といえども学生帽を着用せず、いわゆる戦闘帽をかぶっていた。そして金属が極端に払底していた時代で、戦闘帽につけたのは布製の校章だった。当時の校章といわれるものが図1である。工業学校は「工」を商業学校は「商」を柏の葉の中に描いたと、当時の八高生で本校教諭を務めた山根勢伍はいっている。終戦になって八戸商業学校が復活し、終戦後の校章というもの(図2参照)があるが、図案はほぼ同じである。これらの図案の考案者は分かっていない。
 本校が昭和23年度に八戸市立工業高等学校に昇格した時代の校章が、現在の校章の基本形となっている(図3)。考案者は、本校体育科教諭の若林繁(後に八戸商業高等学校長)である。
「南部二万石菊の里」の菊の若葉一対の間に「工高」と描き、「工」の字が菊の葉よりも高く突き出ていた。しかし生徒たちは「工」の字のTの部分を折り曲げるので、「一高」と読まれてしまうことが多々あった。
 そこで折り曲げられないように、菊の葉を大きく伸ばして「工」の字全体が菊の葉に取り囲まれる現在のデザインにした。
 「八工」は「はっこう」と発音して、「八高」の「はちこう」と区別していた。しかし「八工」はかたかなで「ハエ」と読まれてしまう場合があった。そこで昭和29年「工」の「工」の字の音が通じるように「巧」のつくりの部介「 」を取り入れて、「工」の垂直線を稲妻型に曲げて「 」にしたとされている。これが現在の校章である(図4)。校章では、「 」の字を補強するために、地の部分を入れている。図に示すように、図3と図4の中間形の校章もあった。


 校旗は昭和29年11月3日に制定された。デザインは校内から募集した。『八工高新開』創刊
号(S30・3・2)によると、応募図案にいいものがなく、それまでの校章を緑地にいれたとある。費用は34500円だった。なお細かいことをいうと、校旗のデザインは、菊の葉の切れ込みが小さくなって、葉先が丸みをおび、また「 」のあたりがすっきりした感じになっている(図5)。(斎藤潔・村井武治)
 また、平成11年4月に新しい校旗が同窓会結成50周年記念として寄贈された。(図6)
 なお、平成10年9月に校章をデジタルデータ化するため従来の図案を整理し、現在の校章になった。(図7)


図7


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