▼ 学校概要

学校概要 義塾としての理想の追求

慶應義塾は理想を追求します。

慶應義塾には創立者・福澤諭吉による目的があります。その目的の文章は「以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」で結ばれています。全社会の先導者になるためには世界の舞台に立ち、自分や日本が置かれた現状を理解し、自分のため、家族や仲間のため、地域のため、国のため、世界のために為すべきことを定義して実行する必要があります。

慶應義塾とは、この目的を達成するための塾生(学生)と教職員と塾員(卒業生)の集まりです。独立自尊の人の集まりです。自分で考える。人間の尊厳を重んじる。だからこそ他人の考えにもしっかりと耳を傾け、それぞれの立場や生き方を尊重する。様々な考え方を持つ人の集まりでありながら、互いを尊重するので真の友情が芽生え、協調的に高め合い、困ったときには助け合う。仲間の大切さを知り、自分の存在意義を実感しながら成長できる人の集まりであります。

塾生にとっての慶應義塾とは、生涯の友に出会う場であり、世界を股にかけるこれからの「人生の好循環」の始まりです。塾生は学問を通して社会や科学の真髄に迫り、スポーツ・文化・芸術・社会・福祉活動などの課外活動を通して人間力を養います。多種多様な国際プログラムを利用して活動の場を世界に広げます。同時に自分たちの恵まれた立場を客観的に認識し、決しておごることなく、恵まれた人としての責任と義務を堅実に果たしていきます。

教員は誰もが理想高き一流の学者です。教育、研究、医療という慶應義塾の三大事業において、学問の最先端を塾生とともに世界レベルで切り拓きます。教員と職員が一丸となって、塾生たちが活躍する10年、20年、30年、40年、50年後の社会を想像し、新たな社会を創造するための環境を整えていきます。学術文化の発展に加えて、人権・食糧・環境・安全保障といった様々な分野の専門家らと密につながりながら世界を舞台に全社会の発展に貢献します。

塾員は様々な立場で社会を先導しています。そのネットワークは極めて強固で世界中に広がっています。大企業に加えて、これからの社会を創る新進気鋭の企業や非営利団体等の創設や発展においても大活躍しています。塾生は、在学中はもちろんのこと、卒業後も生涯を通じて、塾員のネットワークから多くのチャンスや出会いに恵まれます。

慶應義塾は先導者としての理想を追い求めます。

(大学ホームページに掲載された塾長メッセージを紹介しています)

▼ 動画学校案内

ここで紹介する動画は学校案内(コマーシャル含む)のものです
動画概要 慶應義塾大学 大学説明動画(受験生・高校生向け)
放映時間 10分25秒
登録日 2023年01月20日
学校動画 学校の動画まとめページがあります
動画URL 慶應義塾大学の動画案内ホームページ

▼ 関係校

学校名 学校種 地域
慶應義塾大学大学院 大学院 東京都
慶應義塾大学 大学 東京都
慶應義塾高等学校 高校 神奈川県
慶應義塾女子高等学校 高校 東京都
慶應義塾志木高等学校 高校 埼玉県
慶應義塾湘南藤沢高等部 高校 神奈川県
慶應義塾普通部 中学校 神奈川県
慶應義塾中等部 中学校 東京都
慶應義塾湘南藤沢中等部 中学校 神奈川県
歴史沿革
1858年開塾。福澤諭吉、藩命により江戸築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内に蘭学塾を開く。これが慶應義塾の起源。2018年、慶應義塾創立160年。

▼ 生涯学習、大学施設紹介など

慶應義塾大学 生涯学習
慶應義塾では、生涯学習の場の提供は社会における使命であると捉え、多くの人々が幅広い分野の知識や教養に気軽に触れられる場を提供しています。公開講座や講演会は、年間を通じて各キャンパスや学外の会場で開催されています。講座の中には自治体や非営利団体との共催によるものもあります。社会人向けにも、ビジネス・スクール、通信教育課程、外国語教育研究センター、慶應丸の内シティキャンパスなどで多彩なプログラムを展開しています。また、科目等履修生など特別学生の制度も設けています。
広報誌『塾』
1963(昭和38)年創刊の『塾』は、慶應義塾と塾生・保護者を結ぶ、伝統あるコミュニケーションツールです。現在は、季節ごとに年4回発行しています。デジタルブック版があります。
慶應義塾大学 社会・地域連携室
三田インフォメーションプラザでは、学内や協定協力等に基づく公開イベントなどの情報や、慶應義塾の各種パンフレット・情報誌を自由にお取りいただけるほか、大学紹介DVDの上映や慶應義塾公式グッズの展示・販売を行うなど、大学と社会を橋渡しする場として、どなたでも気軽にお立ち寄りいただける施設となっています。
福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館
福澤諭吉の生涯と慶應義塾の160年の歴史を通して、近代文明を考える歴史博物館です。
福沢諭吉 ~ 近代日本人の肖像:国立国会図書館情報
明治の代表的な啓蒙思想家。父は中津藩士で、福沢が生まれた当時は大阪の蔵屋敷詰であった。父の死後中津に戻り、白石常人に師事し、その後大阪に出て、緒方洪庵に蘭学を学ぶ。万延元(1860)年から慶応3(1867)年にかけて幕府の遣欧米使節に3度参加し、『西洋事情』等の著作を通じて欧米文化を紹介した。4年慶応義塾を創設。明治以降官職に就かず、位階勲等を受けなかった。『学問のすすめ』(1872)、『文明論之概略』(1875)など多数の著作を発表した(解説は国立国会図書館情報からの引用)。
慶應義塾大学 教育情報の公表
学校教育法施行規則第172条の2関係(教育研究上の目的、教育研究上の基本組織、入学状況及び卒業後の進路などの情報)。5R6375